自分の病気の数々の告白
自分の病気の数々
生後3ヶ月、バンチ症候群(門脈圧亢進症 指定難病92)発症、塩浜病院にて手術を行い、脾臓摘出。
脾臓がないことにより、常に貧血であり、病原菌から身体を守れなくなり、よく風邪などにより熱をだしやすい身体になる。
9歳(小3)頃、外斜視の手術をする。
この頃から眼鏡を掛け始める。
12歳(小6)、小学校へ登校前に顔色が今日は悪いので、休ませなと祖母から言われ、その後、当時美味しく飲んでいた湯たまごを口にした途端、胸が気持ち悪くなり、吐血。
そのまま意識を失い、塩浜病院へ向かったらしいが、手に終えず三重大学病院へ搬送され、即手術となる。食道静脈瘤という診断結果。
半年間入院をし、退院したが1ヶ月後再発。三重大で2回目の食道静脈瘤の手術を行い、また半年間の入院生活となる。
18歳から20歳までの間に、鼠経ヘルニアの手術をする。
27歳から30歳までの間に、虫垂炎の手術をし、腸閉塞にもなりかけ、石田胃腸科病院にて、入退院を2~3回ほど繰り返す。
40歳からは、尿管結石を2回経験し、1回目は、体外衝撃波で石を割り、2回目は、膀胱にまで下りてきていたが、石が大きいため尿道から出すことができず、手術で取り出すことになる。
その他に、お腹が張り、食欲もなくなるということがあって、かかりつけ病院に行ったら、お腹に腹水が溜まっているという診断になった。
そこで、利尿剤で腹水を出すという治療方法を試みる。
原因は、肝臓が弱ってきていて、解毒作用ができないためお酒などを飲むと腹水が溜まりやすくなるという事だった。
この事実により、この頃から禁酒し、現在までお酒は飲まないようにしている。
そして今まで、何ヶ月かに度々意味の分からない高熱(39.5度ぐらい)が出るようになる。
近所のかかりつけ病院で、貧血もあり、赤血球なども少ないため、メチコバール注射を月に1回~2ヶ月に1回打つようになる。
今は、かかりつけ病院の先生が変わり、やぶ医者となったため、メチコバールを打ちにいかないようになった。
7年ぐらい前から、足底腱膜炎に悩まされるようになり、一時は、体外衝撃波で治ったが、半年から1年後ぐらいに再発した。
今度は半年に1回ぐらいでステロイド注射を打ち、騙し騙し治療してきたが、痛くなる感覚が早くなってきて、それでもシリコンサポーターなどで我慢して今までやってきたが、そろそろ限界になってきたので、再度、体外衝撃波治療を現在している。
このように、内臓関係で結構手術やら何かしらしてきているので、高校卒業してから体重も増えることなく、良くお腹を壊すようになる。
というか、食べたら直ぐにトイレに行くことが多いし、ほとんど下痢で一日3回以上は必ずトイレに行く。
だから、外出する時はトイレがあるということが確認できるとこぐらいしか行かないようにしている。
こんな人、何処にもいないと思うのですが、いたら教えて下さい。
今日は、足底筋膜炎の体外衝撃波(ドルニエ)治療に行った。
今日まで2回してきたが、今までしてきた衝撃の位置が痛いところの芯じゃなかったような気がするため、今回はここぞ芯だというところをめがけて、衝撃波をして頂いた。
これで痛みが軽減するのを祈るばかりだ。
嫁さんがまた何か悩み始めて、胸がザワザワして、気分が悪い様子だ。
原因は、以前勤めていた所に今も務めている人からのLINEだ。
その事で悩んでいるみたいだ。
今は、嫁さんがいい方向へ行くように祈るしかない。