ダラダラ日記のようなもの

ダラダラと日々の日常を綴っていくブログになります。

再出発への道のり - 運転再開から職場復帰まで

 

 

免許更新を済ませ、ようやく自分で車を運転できるようになりました。私の愛車はホンダのフィットで、事故の前、昨年6月頃に車検を終えていましたが、それ以降はあまり運転していませんでした。

 

 

入院中は次女にバッテリー上がり防止のため時々運転してもらっていましたが、それでも一度バッテリーが上がってしまったそうです。

 

 

久しぶりの運転で少し緊張していましたが、ほとんど大丈夫だと思っていました。久しぶりの運転ということもあり、妻が同乗して安全確認をしてくれることになりました。

 

 

「ハンドル操作は大丈夫?左手でしっかりグリップできてる?」と妻が心配そうに見ています。

「もうちょっと前の車と離れて止まってよ」と、車間距離にうるさい妻。私は大丈夫だと思っていても、妻の意見を尊重して運転するよう心がけました。

 

 

これからは十分注意して運転していこうと決意しました。事故から5ヶ月が経ち、その間に整形外科と脳神経外科の診察を受けてきました。

 

 

整形外科での診察では、手の痛みがかなり軽減し、股関節に若干の突っ張るような痛みは残っているものの、全体的に症状が改善していました。そのため、以前は3種類ほど処方されていた痛み止めの服用が不要となりました。現在は神経の修復を助けるメコバラミンのみを服用しています。

 

当初は薬の量が半端なく多く、朝昼晩と服用する錠剤や粉薬を透明な袋に分けて管理していました。

 

 

これにより飲み忘れを防ぎ、服薬管理が容易になりました。最初の頃は処方された薬の量が半端なく多く、毎回朝昼晩と服用する錠剤や粉薬の管理が大変でした。そこで、私は工夫を凝らし、透明な小分け袋を使って薬を整理することにしました。

 

 

具体的には、1回分の服用量ごとに錠剤と粉薬を全て小分け袋に入れ、それぞれの袋に服用時間(朝・昼・晩)を記入しました。この方法により、1回ごとの服用量が一目で分かるようになり、薬を1つずつ取り出す手間も省けました。

 

 

この工夫のおかげで、飲み忘れや飲み間違いがほとんどなくなりました。特に、体調が優れない日や忙しい日でも、準備された袋を見れば簡単に必要な薬を服用できるので、とても便利でした。

 

 

また、外出時にも必要分の袋を持ち歩くだけで済むため、旅行や通院の際の薬の管理も楽になりました。この方法は、多くの薬を正確に服用する必要がある時期には本当に助かりました。

 

 

それが今ではメコバラミン1錠のみになり、以前の複雑な服薬管理が懐かしく感じられるほどです。薬の減少は回復の証でもあり、体調の改善を実感できる嬉しい変化となりました。

 

 

一方、脳神経外科では頭部の強打と手術後の経過観察のため、90日分の薬を処方されました。しかし、車の運転適性検査も通過し、頭部に異常がないことが確認されたため、残り2ヶ月分ほどある薬を自己判断で服用中止しました。

 

 

次の診察時にこのことを伝えると、医師から注意を受けました。「薬を自己判断でやめてしまったのであれば、何か起きても責任は取れませんよ」というような趣旨のことを言われました。医師の言葉に少し不安を感じましたが、自分の体調を信じて「大丈夫」と自分に言い聞かせています。

 

 

この経験から、たとえ症状が改善したように感じても、医師との相談なしに投薬を中止することの危険性を学びました。今後は、どんな些細な変化でも医師に相談してから判断するよう心がけようと思います。

 

 

当初は小山田記念温泉病院でのリハビリを検討していましたが、自宅でも同様の効果が得られると判断し、自主的なリハビリプログラムを組み立てることにしました。

 

手のリハビリに関しては、病院で行っていた低周波治療器による施術を参考に、自宅でマッサージや簡単な運動を行っています。指の屈伸運動や、柔らかいボールを握る練習など、日常生活の中で手を使う機会を意識的に増やしています。

 

 

足のリハビリについては、自宅にある運動器具を活用しています。具体的には、フィットネスバイクを使って有酸素運動を行い、太ももやふくらはぎの筋力強化に努めています。また、ストレッチも重要視しており、柔軟性の向上と筋肉のケアを心がけています。

 

 

特に力を入れているのが、ふくらはぎの強化です。かかと上げ運動を毎日実践しており、片足ずつ100回を3セット行うことを目標にしています。これにより、歩行時の安定性が向上していると感じています。

 

 

さらに、ウォーキングを重要なリハビリの一環として位置づけています。妻と一緒に毎朝のウォーキングを習慣化し、徐々に距離を延ばしていきました。最近では知人と一緒に歩くこともあり、いなべ公園の池周り(約2.5km)を一周したり、夕方には北勢公園や家の周りの車や人気があまりない田んぼの細道(約3Km)を回ったりしています。

 

 

このような自主的なリハビリにより、体の調子は徐々に良くなってきています。病院でのリハビリと比べると専門的な指導は受けられませんが、日常生活に組み込みやすく、継続的に行えるメリットがあります。また、自分の体調や進捗に合わせて調整できる柔軟性も魅力です。

 

 

ただし、完全に自己判断に頼るのではなく、定期的な通院時に医師や理学療法士からアドバイスを受け、リハビリの内容や強度を適宜見直しています。この バランスの取れたアプローチ により、安全かつ効果的なリハビリを続けることができていると感じています。

 

 

5月も終わりに近づき、心臓が高鳴るような期待と不安を抱えながら、6月からの職場復帰を考えていました。まず、勇気を出して施設長に電話をしました。その時の会話は、私の人生で最も心に残る瞬間の一つとなりました。

 

「お久しぶりです。そろそろ復帰の相談をさせていただきたいのですが...」と緊張しながら切り出すと、施設長の温かい声が返ってきました。

 

「ああ、待っていましたよ。でも、まずは君の体調が一番大事だ。無理は絶対にしないでくださいね。」

 

その言葉に、突然込み上げてくる感情を抑えきれず、声が震えてしまいました。これほど長期間休職していたにもかかわらず、自分の健康を第一に考えてくれる施設長の思いやりに、心が震えたのです。

 

「大丈夫ですか?」と心配そうに尋ねる施設長の声に、私は必死に感情を抑えながら答えました。

 

「はい...ただ、あまりにもありがたくて...」

 

電話を切った後、涙が止まりませんでした。こんなにも温かい職場に戻れることへの喜びと感謝で胸がいっぱいになりました。

 

 

その後、実際に会社を訪問した時は、施設長との電話での会話に勇気づけられていたこともあり、少し落ち着いて臨むことができました。

 

 

それでも、同僚たちの「よく戻ってきてくれたね」「無理しないでね」という温かい言葉の一つ一つが、まるで宝物のように感じられ、再び感動で胸が熱くなりました。

 

 

 

施設長との感動的な電話の後、私は会社訪問の日程を慎重に決めました。施設長の在席時間に合わせて、数日後の訪問を計画しました。

 

 

訪問当日、一人で車を運転しながら、緊張と期待が入り混じった気持ちで会社へ向かいました。久しぶりの運転に少し不安もありましたが、この日のために練習を重ねてきた成果を信じて、慎重に道を進みました。

 

 

車内で深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせようとしましたが、胸の高鳴りは収まりませんでした。「大丈夫、みんな待っているはずだ」と自分に言い聞かせながら、駐車場に車を停めました。

 

 

会社の建物を見上げると、懐かしさと共に、これまでの長い休職期間が走馬灯のように思い浮かびました。入院、リハビリ、そして今日までの道のりを思い返すと、ここまで来られたことへの感謝の気持ちが込み上げてきました。

 

 

 

玄関前で深呼吸をし、ドアを開けました。一歩を踏み出す瞬間、新たな挑戦への期待と不安が入り混じる複雑な心境でした。しかし、施設長との電話での温かいやりとりを思い出し、勇気を奮い起こして中に入りました。

 

 

この一人での訪問は、自立への第一歩でもありました。妻の支えがあってここまで来られましたが、これからは自分の力で一歩ずつ前に進んでいく決意を胸に秘めて、職場にたどり着きました。

 

 

手には、長期入院でご迷惑をおかけしたという気持ちを込めた手土産を持っていました。

 

 

中に入ると、懐かしい雰囲気と共に、同僚たちの温かい笑顔が私を迎えてくれました。「お久しぶりです」「元気そうで良かった」という声が飛び交い、心が温かくなるのを感じました。

 

 

手土産を渡すと、「こんなの要らなかったのに」と言いながらも、みんなで喜んで受け取ってくれました。この小さな気遣いが、職場との再会をより和やかなものにしてくれたように感じました

 

 

 

施設長が笑顔で近づいてきて、「よく来てくれました。お待ちしていましたよ」と優しく声をかけてくれました。その言葉に、電話での会話を思い出し、再び胸が熱くなりました。

短い歓談の後、施設長と個室で話し合う機会を得ました。そこで私の現在の状態や復帰への希望を詳しく説明しました。施設長は真剣に耳を傾け、時折頷きながら私の話を聞いてくれました。

 

 

 

施設長との話し合いの中で、具体的な勤務内容について提案がありました。

「6月からの勤務ですが、トータル5時間の勤務を考えています。高柳ホームで朝8時から10時半まで、そしてその後13時までをセンターのデジタル班で勤務するのはいかがでしょうか。」
「それと最初の1ヶ月間は週3日勤務でいいですよ、無理は禁物です。」

 

 

この提案を聞いた瞬間、喜びと感謝で胸がいっぱいになりました。高柳ホームは比較的落ち着いた環境で、朝の時間帯に集中して働けることがありがたく感じました。


さらに、センターのデジタル班での勤務も加わることで、より多様な業務に携わることができ、徐々に以前の業務に近づいていけるという希望が湧きました。

 

 


「ありがとうございます。このような配慮をしていただき、本当に感謝しています」と返答する私の声は、感動で少し震えていたかもしれません。

 

 

施設長は優しく微笑んで「焦らずに、一歩ずつ進んでいきましょう。みんなで支えていきますから」と言ってくれました。

 

 

この瞬間、長い闘病生活を経て、ようやく社会に戻れるという実感が湧いてきました。同時に、これほど細やかに配慮してくれる職場があることへの感謝の気持ちで胸が熱くなりました。

 


施設長との話し合いを終えると、私は以前所属していた生活班にも顔を出すことにしました。

 

 

生活班に足を踏み入れると、そこでも温かい歓迎を受けました。スタッフたちは口々に「よく戻ってきたね」「元気そうで何よりだ」と声をかけてくれ、中には目頭を熱くしている人もいました。彼らの言葉一つ一つが、私の心に深く染み渡りました。

 

 

そして、最も感動的だったのは、ご利用者の方々との再会でした。恐る恐る「覚えていますか?僕のこと」と声をかけると、多くの方が私のことを覚えていてくださいました。

 

 

名前を呼んでくれる方、中には「待ってたよ」と言ってくれる方もいました。これらの言葉に、思わず涙が込み上げてきました。

 

 

長い間離れていたにもかかわらず、このように温かく迎えられ、覚えていてもらえたことは、私にとって何よりの励みとなりました。障害者支援施設での仕事の意義を改めて実感し、ここで働くことができる喜びを深く感じました。

 

 

この経験を通じて、6月からの復帰への決意がさらに強まりました。高柳ホームでの朝の勤務とセンターのデジタル班での午後の勤務。そして、いつかは生活班にも戻れるかもしれない。そんな希望を胸に、一歩一歩前進していく勇気をもらいました。

 

 

施設を後にする時、新たな出発への希望と決意、そして感謝の気持ちで胸がいっぱいでした。

 

 

車に乗り込んでから、深呼吸をして気持ちを落ち着かせながら、この温かい職場環境とご利用者の方々に恩返しできるよう、全力を尽くそうと心に誓いました。

 

 

家に着くと、妻が玄関で待っていてくれました。彼女の顔を見た瞬間、今日の出来事を全て話したい気持ちでいっぱいになりました。

 

 

リビングに座り、お茶を飲みながら、私は興奮気味に話し始めました。
「みんな、本当に優しかったんだ。施設長さんも、同僚たちも、それにご利用者の方々も...」

 

 

妻は静かに、でも目を輝かせて聞いてくれました。私が話し終わると、彼女は優しく微笑んで言いました。

 

 

妻は私の手を取り、優しく握りました。
「その調子よ。あなたならきっとうまくやれるわ。でも、焦らないでね。」

 

その言葉に、心が温かくなりました。支援する側であり、同時に支えられている側でもある。職場でもそうだし、家庭でもそうなのだと実感しました。

 

「ありがとう。」私はそう言って妻に微笑みかけました。「これからは、毎日の小さな進歩を大切にしていこう。何事にも落ち着いて対応していくよ。」


妻が頷くのを感じながら、私は心の中でもう一度誓いました。この貴重な経験を胸に、これからの日々を大切に過ごしていこう。そして、支えてくれる人々への感謝の気持ちを忘れずに、一歩一歩前進していこうと。

 

 

その夜、私たちは久しぶりに家族で夕食を囲みました。家族の笑顔を見ながら、私は改めて幸せを感じ、これからの新たな挑戦への勇気をもらいました。

 

 

食事後、リビングの窓から外を見ると、夕暮れの空が美しく輝いていました。その景色を眺めながら、6月の職場復帰に向けて、残された時間を大切に使おうと決意を新たにしました。

 

 

これが新しい始まりへの第一歩。困難を乗り越え、多くの人々に支えられ、ここまで来られたことへの感謝と、これからの日々への穏やかな期待を胸に、私は深呼吸をしました。

 

「よし、復帰までの時間を有効に使おう」と、自分に言い聞かせるように呟きました。「体調管理と心の準備、それに少しずつ生活リズムを整えていこう」

 

 

妻が隣に来て、優しく肩に手を置きました。「一緒に準備していきましょう」という彼女の言葉に、私は力強く頷きました。

 

 

この瞬間、私は確信しました。職場復帰までの日々を大切に過ごし、着実に準備を進めていけば、きっと良いスタートが切れる。そう信じて、私たちは6月の復帰に向けて、一日一日を大切に過ごす決意を固めたのです。

 

 

明日からは、リハビリを続けながら、少しずつ生活リズムを職場復帰に合わせていく。そして、家族との時間も大切にしながら、心と体の準備を整えていく。そんな計画を立てながら、私たちは希望に満ちた未来を見据えたのでした。

 

 

 

 

 

 

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