ダラダラ日記のようなもの

ダラダラと日々の日常を綴っていくブログになります。

リハビリと希望 - 厳しい回復への道のりと小さな喜び

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術後、私の身体は徐々に回復の兆しを見せ始めました。三重大学病院での入院生活も残り2週間となりました。この病院は重症患者が入院できる施設で、状態が改善すると転院が必要となります。私の場合も回復が進んだため、次の転院先として四日市私立病院の整形外科病棟5階が決まりました。

 

 

 

転院後、私を待ち受けていたのは手術後の経過観察に加え、主に厳しいリハビリでした。まだ身体を起こすのがやっとで歩くこともできない状態から、足のストレッチから始まりました。足のリハビリは本当に痛みとの戦いでした。

 

 

 

手術を受けた右膝は、最初は全く曲がらず、理学療法士が毎日私の右膝を曲げるたびに激痛が走りました。それでも、痛みを我慢しながら、日に日に膝が曲がるようになっていきました。

 

 

 

手のリハビリも同様に厳しいものでした。低周波を腕に流し、作業療法士の方が指や手首を曲げたり、伸ばしたりする訓練を行いました。このような手のリハビリを各40分ずつ、土日祝日以外は毎日行っていただきました。彼らの熱心な指導と支えが、私の回復の道を切り開いてくれました。

 

 

 

そんな厳しいリハビリ生活の中でも、楽しみはありました。それはお昼の食事です。朝昼夕の食事の中で、お昼だけはAとBのメニューから選ぶことができました。私立病院に来た頃には普通食を食べられるようになっていたので、メニュー表でAかBを選択できるようになっていました。

 

 

 

当初200グラムだった御飯の量も少なく感じるようになり、一番大盛りの250グラムに変更してもらいました。メニュー表は1週間ごとに配られ、AとBで食べたいメニューがあれば、2日前までに申請すると選んだものが運ばれてきます。この選択をするのが小さな楽しみでもありました。

 

 

 

特にBメニューは美味しそうな料理が多く、肉類が好きな私はB定食をよく選んでいました。ある日のB定食には、「ジューシーチキンの照り焼き」と「とろけるビーフシチュー」がありました。照り焼きのチキンは香ばしい匂いを放ち、甘辛いタレが食欲をそそりました。一方のビーフシチューは、長時間煮込まれた肉が口の中でとろけ、まろやかなソースが心を温めました。

 

 

 

これらの料理は、私のリハビリ生活に彩りを与え、毎日の厳しいトレーニングのご褒美として楽しむことができました。

 

 

 

 

そしてだいぶと身体も動けるようになってきたので、お風呂も入ることができるようになってきました。最初のお風呂は、寝ながらでもできるお風呂で、看護師の方2人に洗ってもらいました。

 

 

 

かれこれ2ヶ月ぐらいお風呂も入っていなかったので、頭のフケや、身体のアカ、そして足の指周りとかかとなどアカが分厚くなっていて、本当にこれ自分の足の指か!?みたいな感じになっていました。

 

 

 

それからは、月曜と木曜に、お風呂に入らせてもらえるようになりました。2回目からは、看護師さんと車椅子でシャワーがあるお風呂場に連れて行ってもらい、シャワーの前の椅子までどうにか手すりを持って立ち上がって行き、座りました。

 

 

 

お湯に浸かることはまだできなかったので、洗えるところは自分で洗い、洗えないところは看護師さんに手伝ってもらい、身体全体を洗っていました。

 

 

 

2ヶ月のアカって相当なもので、フケは止むことがなく、足の指の間やかかとのアカも5、6回洗っただけではなかなか落ちませんでした。でもやっとこうして身体が洗えるようになって、やっとここまで来たんだなと実感しました。

 

 

 

 

身体の痛みの方も徐々に減ってきました。右の肩甲骨が割れているため、最初はそこが腫れて痛かったのですが、だいぶ和らいできました。今は、左手のほうがまだ問題で、薬が切れると痛みが激しくなるので、それとの戦いが続いています。

 

 

 

手首の機能については、少しだけ上に上げられるようになってきました。しかし、撓骨神経麻痺については、回復に時間がかかる人で半年から1年以上かかると聞いていたので、まだまだ時間がかかるだろうと思いました。同時に、「本当に治るんだろうか」という不安も感じていました。特に「これが治らなかったら仕事もできないんじゃないか」という心配が頭をよぎりました。

 

 

 

 

この間、妻は毎日面会に来てくれました。四日市私立病院では面会の規則が三重大学病院よりも厳しく、1回の面会は2名まで、しかも15分間という制限がありました。そのため、妻はいつも誰かを連れて来ていました。長女と次女が交代で来てくれることもあれば、娘たちが来られない日には友人を連れて来てくれることもありました。

 

 

 

この厳しい面会制限の中でも、家族や友人の存在は私にとって大きな励みとなりました。たとえ短い時間でも、愛する人たちの顔を見られることが、私の回復への意欲を高めてくれました。毎日の面会は、厳しいリハビリ生活を乗り越える力となり、希望を与えてくれたのです。

 

 

 

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